茜雲に無事を祈って
オランダ留学娘と父の旅日記写真はベルギーの水の都ブルージュにて
夕日が沈む頃になるときまつて腕時計を見る習慣になってしばらく経つ。
「朝ご飯を終えてそろそろ授業が始まる頃かな」「今日のオランダの天気はどうかな」…。茜雲に娘の無事を祈る日課が続いている。
一年次だけオランダの古都マーストリヒトで国際感覚を体験、二年次からは東京で学ぶ某短大の国際コースに入学が決まった時はちょっぴり複雑だった。これからの時代に国際性は大事には違いない、遠い異国で丸々十ヶ月も親元を離れることは娘にとって必ずやメリットがある、と思う反面、危険な目にあわずに元気に帰国できるだろうか、という心配もあった。父親の私よりも母である妻の方が、旅たってしばらくの間は寂しさからかガックリと肩を落とす姿が目立った。
そんな時私は妻に「四十人の団体寮生活なんだから心配ない」ことを強調したり、親が考えるよりシンがきついことを示す事例をあげて慰めた。
まだ幼い頃、娘のわがままに怒った私は娘を真っ暗な神社の森に置き去りにした。しかし娘は、暗い三キロもの道のりを犬に吠えられながら一人で帰宅、ホッとすると同時にクソ度胸にも感心した。近くの高校を選ばず一時間も通学に要する学校を自ら選んだ責任感からかほとんど一人で早起きし通いとおした粘り強さ、「クラスで一番になる」と宣言したらとうとう三年の二学期に実現した根性などの話だ。
娘の不在にも漸く慣れた1996年夏、学校の計らいで現地での父母会と娘たちとの旅が企画された。妻と二人で行きたかったが医薬分業の進展、処方箋応需薬局の悲しき(?)さだめ、父親の私が我が家の代表で初のヨーロッパの旅にでかけることになった。もしかしたら一生に一度きりかも知れない娘とのオランダ、ベルギー、ロンドン、パリ十日間の旅。 わずかの間にほんの少しだけ成長したかに思えた娘の様子をこの目で確認できた満足はもちろんだが、古い歴史と伝統を現代に活かす西欧の風情に心打たれ、自己発見の旅でもあった。
娘とのヤジキタ珍道中のエピソードも含めて行けなかった妻にいささかでも旅の雰囲気を知ってもらおうと思い出を綴ってみた。(駄文ですが、私のパソコン人生の原点である随想旅日記ですので分割掲載します)地球は広い
日航405便が成田を離陸したのが正午前。
夏時間7時間の時差のためパリ:ドゴール空港着はその日の夕方だったが、正味12時間は機上の人を余儀なくされた。時速数百キロの猛スピードで飛んでもはるか真下はどこまでもシベリア大陸。ふだん「地球は狭い」が口癖の私だが地球は想像以上に広いことを思い知らされた。もてあまし気味の機内で、旅慣れたMさんが勧めてくれたウイスキーは役立った。
バルト海に垂れるスカンジナビア半島なのか、広大な半島が見え、機内の位置表示がドイツ上空を示した頃にはさすがに「もう少しだ」とホッとしました。パリでエールフランスに乗り換えてベルギーブリュッセル空港へ。こちらは乗ったと思ったら直ぐ着いてあっけないほど。
上空から降下してその国の景観を初めて目にする陸地接近のこの時間帯、たまらなく旅情的で好きだ。韓国金浦空港に降下した数年前は、赤や青、韓国民家の屋根の色の統一的なケバケバしさが目についた。
明るい西日に照らされるブリュッセル空港周辺、碁盤の目のように整備された畑は野菜の鮮やかな緑色と収穫のあとのうす茶色に色分けされ、お伽の国に出てくるメルヘンチックな民家の佇まいも印象的だった。
ヨーロッパの夏は全く日が長い。ブリュッセルをバスで出発した9時頃、まだ真昼の感じだったが娘が待つマーストリヒトへ向かって高速道を東進する午後10時を過ぎた頃から、やっと夕闇に包まれ路側の街路灯だけが異様なほど黄色に光っていた。
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