茜雲に無事を祈って

父母会

古都レストランにて マーストリヒト到着の翌日午前中、父母会が行われた。元大手銀行員でオランダの学園施設の責任者、T社長、オランダ紳士のD先生、F先生夫妻、ミスターレモンと生徒から親しまれているL先生らが精揃い。英検の受験結果や日々の学園生活の様子が知らされた。月に一度は学校から近況レポートが送られてくるが実際に現地で生の声を伺うと安心するものだ。 質問の時間となりMさんが「どこかマーストリヒトらしいレストラン教えて!」。Mさんは娘が御世話になっているT子ちゃんのお母さん。サバサバ、ハキハキした性格で何でも将来、レストランを開きたい夢があるみたいで、旅の間、どこの街でも料理や店のムード、接客に興味深々のようだった。
F先生の案内で車で10分程の瀟洒なレストランで昼食を摂った。黄色やピンクのバラの咲く庭、白いイスとテーブル、なだらかな弧を描くように広がる畑の広がり、こんもりした小さな森の脇に小川が見える。あれ、あの景色、娘が送ってくれた写真に似ているぞ。あの森をバックに川のほとりに娘がたっていたあの写真。のどかな昼下がりのひととき、地ビールを戴きながらオランダの古都のシックなレストランでのんびりとちょっと遅めの昼食を摂る。素敵な時間だ。運ばれてくる料理を一品ずつ写真に収めつつ食していたMさん、「こんな素晴らしい時を持てたなんてT子に感謝しなくちゃね」。私もヨーロッパの旅なんて去年までは想像もしていなかったのに、今ここにこうしているなんて、確かに娘のおかげなのかも知れない。事情通のMさん一家はレンタカーでドイツへドライブ。


マース川と路上カフェ

マーストリヒトの街を見るため夕方、散歩に出た。歩行者のための信号は少ない。しかし、横断しようとすると車は必ずといっていいほど止まってくれる。歩行者優先保護の運転モラルが徹底しているようで気持ち良かった。
午後5時を過ぎていた商店街はカフェを除いてどこもピタッとシャッターは閉まっていた。太陽はやっと西に傾き始めたかな、という感じで、日本でいえば午後1時か2時頃の雰囲気。現地に着いて間も無い頃の娘の手紙に「こっちのお店は5時になると完全一斉閉店です。商売っ気はまるでない」とあったがまさにそのとおり。日本の商習慣では考え難いが、商店主も従業員も商売以上に価値のあるアフターファイブのプライベートタイムを楽しむお国柄なのだろう。
「ここは駄目!中を見ないで!」と突然、真顔で制止する娘。カフェが密集する通りに差し掛かった時だった。オランダは世界でも一、二を争う麻薬天国。麻薬といってもマリファナやハッシッシといった習慣性が少ないといわれるソフトドラッグをこの国では酒、タバコ並みの嗜好品扱いにしている。アヘンやコカインなどのいわゆる強烈なハードドラッグへの取り締まり規制は厳しいが、ソフトな麻薬は手軽に吸えるらしい。ソフトであれハードであれ日本は当然絶対禁止の危険物。娘たちがマーストリヒトに来て一番最初に厳しく注意指導されたのがこうした麻薬タバコが溢れているカフェ街への立ち入り禁止だったそうだ。約百メートルも続くこの通りを歩くことはなるべく避けること、もしどうしても歩く時は店の中を覗かず無関心で通り過ぎるよう言われていたようだ。
最初、娘はこの通りを通りたくなかったが観察心旺盛な私が強引に歩き始めたものだから先ほどの厳しい目つきの言葉を発したのだった。シャカシャカシャカシャカまっすぐ前を見て歩く娘のスキをみて、チラッとガラス越しに覗いたらカウンターは男性客で一杯だった。
フェーフェーフェーと現地語で呼ばれる観光案内所を過ぎたら「はい、ここからは安全地帯」とほっとした様子。ほどなくしてマース川に出た。
フランス中央部に源流の端を発しベルギーを流れマーストリヒトからオランダに入りやがて北海に注ぐ長大な川。マーストリヒトは「マースの渡し」という意味だそうで、観光クルーズ船も浮かんでなかなか趣のある川。帰国してからベルギーでの猟奇的な連続少女殺人事件が報道された。犯行の中心地はこのマースの渡しから上流に百キロほどのシャルルロアとか。ちょっと不気味な気もする。
マース川の向こう岸はマーストリヒトの駅。駅前通りの路上には藤椅子が並んで安全な野外カフェがたくさんある。散歩で喉が渇いたので黒い地ビールとブランデーの水割りを一杯。 出かける時は暑かったので半袖シャツがいい塩梅だったが急に寒くなってきた。旅行ガイドに書いてある通り、真夏でもほんとに気温の上下変動が大きい。


犬好きの街

マーストリヒトの人々は本当に犬が好きだ。月曜の午前中、住宅街を散歩する。道行く人の大半は犬を連れている。中には一人で3匹を引っ張っているつわものも。ゴールデンリトリバーなどいわゆる高級犬が多い。娘からの便りに「ふんづけちゃうから下を見ながら歩いてます」とあった。確かに歩道に犬のフンは目立つ。オランダ人はフン害には無頓着なようだが我が国では近年、飼い主に厳しさが増している。新聞の投書欄なども「フンを片づけない飼い主は犬を飼う資格なし」などと一刀両断、水戸市では全国に先駆けてフンを始末しないと罰金だかなんだか取られる条例ができた。そのうち飼い犬のフン一発でブタ箱行きなんて法律ができるかも。いや恐ろしや恐ろしや。
いや、でもモラル喪失、自分勝手人間一杯の今の世、一罰百戒罰則強化が効果テキメンか。
私も子どもの頃からいつも愛犬がいた。冬になると雪が二十センチも降ったり、久慈川の支流大野川が全面厚い氷に覆われる奥久慈、生瀬地方には小学生時代、ヤマという柴雑種がいた。もちろん、その頃は犬があぜ道にフンをしても「田んぼの肥やしになっていいや」と思う人はいても「公徳心がない、モラルのない飼い主だ」と非難する人はいない頃の時代である。塾やテレビゲームなどあるハズがない。カラスがねぐらに帰るまで小学校の校庭で野球をして遊び、ヤマも一緒になってボールを追う。朝は早く起きて校庭や、川沿いを駆け回る日課、ヤマと白い息を競い合う、今の時代のどこか殺伐としたものとは違う、しみじみとした郷愁とともにそんなのどかな情景が甦る。その小学校の校長をしていた今は亡き父も戌年生まれからかヤマが大好きだった。
今飼っているのは柴の三郎とシェルティのボブ。
三郎は娘が小学校低学年の頃、日本犬専門に優秀犬の繁殖をしている方からお譲り戴いた。確か今をときめく梶山官房長官の太田の自宅を守る柴犬サマと兄弟のはず。無口(?)で利口な犬、「あんたが大学生になる頃まで元気かな」などと話していた三郎だが、一時、二、三年前、フィラリアみたいでやせ細り弱ったことがあったが、目下元気ハツラツ。散歩でダッシュする時のスピードはまだ青年の若さがみられる。この三郎に赤ちゃん時代、大変なお世話になったのがボブ。どちらもオス、我が子でもないボブをかみ殺したりしないだろうかとちょっと心配したが、全くの取り越し苦労、三郎は乳飲み子のボブを舐めてあげ触わってあげほんとによく面倒をみた。ボブもサブを父のように兄のように頼っていた。ところが、ボブが小犬から大人になり犬小屋を二つにし、屋敷の東と西に離してからはついこないだまでの仲良しクラブはどこへやら、ボブが近くを通ればサブは威嚇の吠え声を続け、接近戦のケンカになればどちらも治るまで数日かかる手負いの傷がつくまで激しく闘う。推測するにいわゆる陣地縄張り争いの世界なのだろうか。
さてこの二匹の犬には忘れられないことがある。名づけて「酷暑の悪夢 サブボブ雲隠れ事件。」猛暑が続いた平成六年夏のある日の午後、国見山の西の空からやってくる雷雲はにわかに掻き曇り、闇夜のような暗さを引き裂く閃光と雷鳴にいつものように驚き泣き叫ぶ雷嫌いの三郎。鎖をひきちぎってサブが屋敷を抜け出しボブもサブの後を追いかけていく姿を大粒の雨が降ってきたタクシー会社の前ぐらいに見かけたのが最後だった。
どこへ消えたのか二匹ともパッタリと姿を消し三日目の朝がきた。もう、二匹ともこの世にはいないのかも知れない、と諦めと言いようのない寂しさを打ち破る娘の声で目を覚ました。「パパ!サブが帰ってきた!」。それから程なくして前日におこなった電柱張り紙の効果か、街から二キロ弱の里川の取水口で前日の朝、ボブらしき犬を見かけた、という嬉しい電話。
早速、サブを連れて里川へ。取水口近くに住む母子は「その犬なら昨日、川沿いを北の方に歩いていた」と信憑性はますます増す。三郎とはぐれてしまい我が家への帰り道がわからず何も食べずにこの暑さの中、さまよっているのか、それとも水を飲みに川辺りにいき、足を滑らせ深みにでもはまり動けないでいるのか、とにかく早く発見して助け出さないと。目撃情報にそって川沿いの一軒一軒を訪ね歩いた。今日もジリジリと猛暑の一日だ。二十軒を越したがその後は全く情報がない。
諦めかけて一旦家に戻ろうとして、道路際の畑仕事中の男性に声をかけたら「そんな犬なら今朝家にきて今その辺にいるぞ」。地獄で仏とはこの事か。
その方の案内で近くの軒下に。暑さを避けて車の下の奥の方に確かにボブにそっくりのシェルティ。ボブボブボブと呼んでみるが反応がない。ボブに似たよその犬かと一瞬疑問がよぎったが、サブがはいつくばって近づき舐めてあげると起き上がり、私のところへしっぽを振って嬉しそうに寄ってきた。
悲しそうに、そして嬉しそうな目つきは、どうして今まで探しにきてくれなかったの、とちょっぴり不満そう、でもやっと家に帰れる安心、そんな雰囲気だった。この事件以来、ボブは屋敷の外にはほとんど出ず、私と一緒の朝の散歩も、五十メートル以上は離れることはなく、また、一分おきに私の側にやってきて目の合図を求める、ことのほか用心深い習性になった。
犬好きの街を歩きながら愛犬を思い出していた。


関連記事

温暖化防止のためエンジンを切ろう(朝日:声掲載 1997:12:4)

昨夏、オランダを旅した時のこと。この国でもっとも古いマーストリヒトの街を散策中、信号機がなぜか少なく車道の横断が難しそうと思ったのは杞憂だった。私と娘の二人だけでも渡るしぐさを見せただけで乗用車はスーと止まってくれたが、それより驚いたのは、僅か数十秒の横断中、その車はエンジンを切って、横断を確認後再びエンジンをかけてスタートした。日本ではあまり目にしない光景だった。
交差点などの信号待ちの時、エンジンを止めるドライバーは我が国では果たしてどのぐらいいるだろうか?極めて数少ないのではと思う。再スタートで燃料を食う懸念もあるだろうが(停止によるマイナスとの燃料消費量の差は資源保護の点からしかるべき機関で調べてもらいたい)、最大の理由は「面倒くさい」からだろう。西欧社会で、一時停止時のエンジン休止率がどの程度かはわからないが、排気ガスによる大気汚染や地球温暖化防止など環境に優しい国民性の違いがあることは事実だろう。温暖化防止京都会議が開幕したが、おくればせながら私も最近やっと、マーストリヒトのドライバーに倣って、交差点でのエンジン停止がクセになってきた。

前ページ   次ページ

MAKOTOの宇宙