茜雲に無事を祈って

快適なユーロスター

ユーロスターロンドンからパリはヨーロッパの新幹線ユーロスターで移動。3時間前後の汽車の旅。
ゆったりした座席、ソーセージと卵料理、パンとコーヒーの軽い食事もついてなかなか快適な時間だった。ロンドンでは一日、郊外に出たかったが叶わなかった。でも今、車窓からのどかな畑作田園風景が広がり心地良かった。
私の席の右隣は日本人男性と思えた。ノートや手帳を広げて座席はまるで事務机のよう。普通の観光客ではないようだ、旅慣れた文筆業の方かな、なんて思っていた。たまたま目が合ったので思い切って聞いてみた。ある著名な交響楽団の0チーフバイオリニストだった。
世界各地で演奏会をして飛び回っており、今回はロンドンを終えてパリ公演へ向かう移動中、とのこと。名刺を渡すと「常陸太田ですか、確か音響のとても良いホールがありましたよね」。パルティホールのことをご存知だった。つくばにあるノバホール以上との評価も耳にする我が街の公共施設をユーロスター内で誉められ、悪い気はしなかった。


いねむりのムーランルージュ

このエッセーを書いていて何か酒のからむ話が多いのに我ながら驚く。元来が酒好きだし酒にまつわるトラブルも若い頃は多かったから仕方ないか。このコーナーも飽きもせず酒、いやワイン、いや違います、強ーいシャンパンの話であります。
ユーロスターでパリに着いた晩はかの有名なムーランルージュデイナーショー。
広い客席は、舞台を見やすいように階段状に配置され我々グループは舞台に比較的近い席に案内された。この晩の同席者はkさんご夫婦ら。kさんは娘さんがロンドン語学研修とかで一緒の旅行ができずお母さん、ちょっぴり寂しそう。商社マンのご主人、薬品会社勤務の奥さんともども穏やかな仲良しカップルで感じが良い。
各テーブルにはアイスボールの中に太めのシャンパンが2本ずつ入っていた。早速kさんご夫婦らとカンパーイ。
なかなか口当たりの良いシャンパン、というよりワインのようだ。いつものように肉は苦手なので野菜類のソテーを時折口にしながらグラスをグイグイあけていた。ショーが始まる頃はホロ酔いで良い気分だった。きらびやかな照明が光り輝く中、トップレスの美女たちが絢爛豪華に踊っていた。誰かの説明だと、ヨーロッパ各地から厳しい試験をパスして採用された彼女たち、スタイルや容姿が基準にわずかでも違うと解雇の憂き目に遭うのでスタイルの維持には全員ことさら神経を使っているという。
おいしいワイン、美しいショー。ウトウト舟を漕ぎ出したのはわかった。後はフィナーレの大きな拍手で我に返った感じ。もちろんその間、小一時間、完全睡眠という訳ではなく舟漕ぎ鑑賞していたわけだ。ただかなり深い眠りがあったことはどうも事実のようだ。次の日だったかkさんが「川又さん、夕べは覚えてる?舞台の司会者が客席から何人か舞台に上がってもらうコーナーの時、川又さん、指名されたんだよ、そこのスヤスヤ男性とかなんとか言って」。
当の本人、そんなこと、全く知りませんでしたからやはり強ーいシャンパンの飲みすぎで相当眠っていたのだと思います。あーあ、赤面の至りであります。


クリストの評価

クリストの作品パリの街はなかなか美しい。「なかなか」と言うのはパリ市民に失礼のようだが、真意はパリも良いけど我が街、茨城県北常陸太田から山間の景観もまた素晴らしい、という意味を込めているのです。
セーヌ川にはパリ市内だけで32の橋が架かっていますが、ルーブル美術館近くのポンヌフは1606年に出来たパリ最古の橋。自動車の洪水にも耐えてパリ市民には「ポンヌフのように元気」という表現もあるそうですが、1985年、400年の歴史をもつこの橋を2週間にわたり巨大な布ですっぽり被ってしまった方がいます。ユニークな梱包芸術家クリスト氏です。
クリスト氏は「私の企ては瞬間の演出。人々の記憶に残像として残ればいい」が口癖で、建造物や自然景観に一定期間、全く意表を突く演出を試みる野外芸術を展開中。彼が1991年秋、日本とアメリカ:カリフォルニアで同時開催したクリストアンブレラで、日本側会場として選んだのが我が街。
日本国内を縦走して芸術表現の舞台としてお眼鏡に叶ったのは、常陸太田から久慈郡里美村までの里川沿いのV字形谷。構想から実現まで6、7年の歳月をかけ、この素朴な谷あいの田畑、川面、山肌に1340本の真っ青な傘を立て、同時期にカリフオルニアには1760本の黄色の傘を立てたのです。高さ6メートル、直径9メートル弱、八角形の傘、黄色は乾いた大地、ブルーは緑の自然を表していたのだろうか。3週間の開催日程が、終盤、アメリカでは見物人が風で倒れた傘の下敷きになり、日本では撤去作業者が高圧線に触れるなど死亡者を出したため少し早めに終了したが、国内は勿論、世界各地から想像を超える見物客がつめかけました。
この奇想天外な野外芸術に私も、早いうちから着目、加盟しているライオンズクラブ主催でふるさとの自然を見直す座談会を仕掛けたり、会場の一角で見学者に薬草や舞茸を売る土産店を開いたりどっぷり浸かって楽しみました。
毎日見ている素朴な野山が人工的な巨大傘の林立とあいまって不思議な世界を醸し出し、田園風景の魅力を再認識したことが昨日のことのように思い出されます。
パリに行ったら是非、アンブレラの直前の芸術表現場所としてクリストが梱包したポンヌフ(写真 1985)を訪ねたかった。そしてパリは彼の芸術活動の無二のパートナー、ジャンヌクロード夫人と知り合い、野外芸術のスタートをきった街。
パリに住んで30年という日本人ガイド女性、「そう、クリストご存知ですか、こちらでは知らない人はいないぐらい有名よ。被われたポンヌフのクリスト芸術はパリ市民にパリの持つ歴史建造物や環境の大切さを再認識させたと思います」と語ってくれました。ふるさと太田では今一つ意見が分かれていたクリストへの評価で、パリ市民とは心がピタッと通じ合ったような気がして胸の痞えが下りたような気がした。


人間彫刻

ユトリロや荻須氏の絵でおなじみの構図、石の階段の坂道を登るとモンマルトルの丘。広場は観光客目当ての似顔絵書きの画家で溢れていた。白いサクレクール聖堂に下りる階段には、聖堂の色とマッチさせたのか純白の女性彫刻が立っていた。その脇を横切ろうとした時、女性の顔の一部、まつげがピクリと動いた、と思った。えっ、よく見ると彫刻は生身の日本人女性で、石膏か何か真っ白いドウランを全身に塗りたくり微動だにせず立っていたのだった。真っ黒いマントをはおった男もおり、聖堂までの階段には同じような静止人間の彫刻パフォーマンスが続いていた。さすがゲージュツの街パリである。
パリには大小合わせると百近い美術館、博物館があるそうです。巨大なルーブルは人の波でゴッタ返していた。ご両親、お兄さんも参加され一家4人の楽しい旅のNさんファミリーとも美術館の庭で出会った。ルーブルは半日ほどの見学ではごく一部だけ見られない。
とてつもなく大きい。一方、オランジェリーはこじんまりとした見やすい美術館だ。地下にはモネの「睡蓮」があった。印象派の巨匠の大壁画風作品は圧巻だった。
日立の親戚の叔父は数年に渡って幾度となくルーブルに通ったが、短時間の見学ではオランジェリーのように小さな美術館をじっくり見るのも手かもしれない。

セーヌの川下り

17、8世紀のフランスの華麗な栄光の世界、ベルサイユ宮殿見学、凱旋門からの眺望などを楽しんでパリ最後の夜はセーヌ川でのバトームーシュのディナーパーティー。8時半、アルマ橋から乗船、2時間半かけてのんびりワインと食事を楽しみながら薄暮のパリを堪能する。
出発した頃はまだ明るかったが、やがてエッフェル塔や美術館にイルミネーションが輝き見事な夜景がひろがる。川面をわたる風がワインのホロ酔いに心地良い。
この10日間、同行の皆さんには本当に御世話になりました。ユーロジャパンの添乗員、H嬢には一生懸命の御世話、ご苦労様。


8月19日午後8時15分、パリ発JAL406便で帰国の途へ。
娘たちはあと半年近くの留学生活をおくるため、パリからブリュッセル経由でマーストリヒトへ。空港でMさん母娘もSさん、Nさん母娘もふたたびの別れに大粒の涙を流していた。我が家も妻が来ていたらきっと、4月の成田のように涙しただろう。
思い出深い旅だった。西欧の有名な名所を見学できた喜びは勿論だが、ホテルの部屋でゆっくりいろんな話をしたこと、エッフェル塔の下でくつろいだ時の朝日の木洩れ陽とパリのスズメのさえずり、落ち着いたマーストリヒトの佇まいなど、たわいない時空がなつかしい。
同行したお母さんたちも、娘たちも沢山のブランド買いに走っていた。あるお母さんがフェラガモの靴を買ったらブランド名にうとい別のお母さんが「あたしもカルガモのバッグを」と駆けずり回り大笑いになったこともあったとか。娘にとっては買い物嫌いのパパと一緒ではブランド買いには無縁な旅ではあったが、モノや金ではない素晴らしい時と思い出を手にすることができたと思う。
以前は取りたてて関心のなかったヨーロッパのニュース、娘の滞在を契機に衛星放送や新聞で自然に見る癖がついた。今、ヨーロッパは娘たちの学園があるマーストリヒトでの条約を基本に通貨や犯罪捜査など国の枠を越えて開かれた共同体、EU、欧州連合へ向かって進んでおり、その関連ニュースが頻繁に流れている。また、オランダでは、この冬、運河が久しぶりに凍結、国を挙げてのスケート大会が開かれたとか。いつの日か機会があったら今度は真冬のオランダを訪ねたいな、なんて密かに思っている。その頃はきっと、オランダギルダーもベルギーフランもイギリスポンドもなく共同通貨ユーロになっているのだろうか。

前ページ

MAKOTOの宇宙