不思議な縁(1997:師走の朝に記す)
まだ日本に結核の治療薬がなかった戦前(太平洋戦争が始まる前のこと)の茨城県北、片田舎のお話。
最近また、ちょっとぶり返してきた傾向の結核は当時いわば不治の病に近かった。今日も**村の誰さんが亡くなった、かわいそうに、という噂が広まる。そうした悲劇に心を痛めて日立の山奥にある御岩神社の滝に打たれる一人の老人がいた。
名を幸次郎と言った。酒好きだが自分より他人のために、が信条の古い燃料店主だった。彼はまた、赤心会というその神社を拠点とする熱烈な宗教家であった。あわせて民間薬の研究家でもあった。
滝に打たれて浮かんだ処方をもって彼が尋ねる場所は常陸太田、鯨が丘の一角に居を構える古い薬屋、川又薬局、訪ねる相手はその店の15代当主川又重郎衛門だった。
足の悪い幸次郎が東坂の角を曲がる姿を見かけると、当時10人以上もいた薬屋の丁稚たちは「蛭田のじいさんが来る、逃げろ、逃げろ」。蜘蛛の子を散らすように店から引っ込んだ。
幸次郎はこと生薬については細かく、そしてうるさかった。計り間違えてこっぴどく怒られた丁稚達は数え切れなかった。一人、当主の重郎衛門だけは幸次郎の言うことを素直に受け入れ、何は何グラム、かには何グラム、と処方通りに計る慣わしだった。
こうして二人で造った漢方薬を持って幸次郎は店を出ると、薬を待つ知人や親戚の患者のところに出向き、いたわりの言葉とともに煎じ薬を飲ませる。バタバタと死んでいく結核患者が多い中、幸次郎と重郎衛門の共同漢方に頼る患者は意外なほど生き延びていた。中には医者に見離され「いつ亡くなっても」と死刑宣告されていた幸次郎の親類Sさんのように、戦争を切り抜け平成の時代の近くまで元気を取り戻した患者もいたほどだった。
子供心に今はとうに亡き幸次郎の妻、すておばあさんから「あんたのおじいさんはこんな人助けをしたんだよ。」と聞かされた記憶はあるが、幸次郎と重郎衛門の深い関わりを知ったのは、我が妻洋子と結ばれて数年したある日のことだった。
それは私と妻がささいなことでいさかいのあった頃の朝だった。重郎衛門の第4男子だった正夫叔父(故人)から「あんたのじいさんは、な、」と始まった重郎衛門と幸次郎の結核救済の共同戦線のお話は、なにか人知の及ばない、偉大なる大きな力、生命と宇宙の神秘、縁というものの不可思議さを感じさせる。
そしてわたしと妻でスクラム組んで昭和から平成の世の人々の健康づくりに邁進しなければならない決意を新たにするに足る十分な話だった。妻 洋子は勿論、重郎衛門の孫である。そして第17代を継ぐように育てられてきた祖父の秘蔵っ子だった。
縁があって結ばれた男と女、その祖父同士が、私たちの生れるずっと昔に、やはり縁あって知り合い、共同で一つの生命維持増進の作業をしていたという事実は、単なる偶然性を超えて、宇宙に意思がある、と思わざるを得ない不思議さである。